なんだかいろいろ忙しかったのもあり、
あっという間にこの日付です。
それがいいことなんだか悪いことなんだか。
まぁ…ねぇ? ヴィドだし。
最後、オトシマエつけて
納得させていただきたいものです。
9日3:31,14日17:08,15日3:17,18日1:42追記
曇り空の名古屋を出て、雨模様の東京へ。
道中、脳が考えることを拒否していて、いっこうに何にも
集中できず、持ってきた論文も進まないし、かといって眠くも
ならないという、半端な事態。
そもそも1月の解散発表に、なんであれだけ怒りくるったのか、
自分でもよくわかっていなかったりします。いまとなっては。
(1月19日の
記事参照)
私はヴィドを活動初期から知っているわりに、ライヴへ足を
運んだのは、第3期になってからです(2006年9月24日)。
しかも恥ずべきことにスタートが顔ファンなのです。
しかもヲ樹威の(自爆死)。
音楽雑誌を眺めていて、「おっ誰?」と手を止めると、
必ず樹威(_ _;)という時期が、2年くらい続いて。
気になりすぎて、いろいろ諦めて、覚悟を決めて、ライヴに
行き始めた私は、たぶん関西の、地下線常連なギャさん達に
言わせたら、ゴミのようないい加減な客だと思います。
ライヴを観るたびに、印象的なライティングが好きで。
でも変な意地をはって物販だけは買わずにきたので、
誰がやってるのかも知らなかったり。
そういう、変な意地…意固地になってるような感情が、
私とヴィドの間には、ずっとあった気がします。
私は、ライヴレポの師匠と仰いできた方が、La:Sadiesの
客だったDir虜という経緯もあり、KISAKIさんを好きに
なれないのです。
そういう、引っかかったもの、わだかまるもの、音さえ好きに
なれたら解消されたであろうモロモロが、KISAKIさんの低音を
好きになれないが故にずっと此処にあって。
(キャラとか仕事面とかでは興味深い人物だと思えるのですが)
その、KISAKIさんへの偏見が、ヴィドールを真っ直ぐ正面から
観ることも、阻害してきたような気がしています。
物販に並んで、パンフを買って、すごく好きだったアー写セットを
1個だけ買って、まんまとチェキ1枚でキメ顔のシュンくんを引き、
5000円以上お買い上げで引ける生写真で、前回COASTライヴでの
鎖骨はだけヲ樹威を引き当て、なにかに勝利した気分でいたら、
くじ運つかいはたしてINORANのロト揃わないんじゃね?的な
指摘を受けて凹む…orz 等、ライヴ前にもひと悶着ありました。
とはいえ、彼らもキャリアは十分にあるバンドで。
音さえ鳴ってしまったら、そのライヴは楽しいのです。
薄い遮幕の降りたステージは、どこかぼんやり霞んでみえた。
Cryptic Tokyoでの幕開けは、去年の5月2日(私がみたヴィド
最良ライヴ)の鮮やかな幕開けと重なってみえたりして。
今朝からひさしぶりに聞いていたV.I.Dの、
SinAIからNectarへ。右手のカッターと(中略)薬指の深い愛と…
っていう、凝りまくったツクリモノっぽさが、当時の彼らの
良さで。←ドールですしね
それが…好きだったなぁ……なんてね。
新旧の曲をとり混ぜたセットは当然ながら、
とりかぶとやってくるとはあんまり思ってませんでした。
ヲ樹威は、確かに去年一昨年のような不安定感はないものの、
一時改善していたスロー・スターターぶりは再発中。
そんな残念なコですね、えぇ知っていましたよ。
オカルトプロポーズあたりでやっとエンジンが完全に全開へ。
本編ラストのBlue Star→ゴシカロイド(改)→新聞マスコミ
関係者の方々へ→Treeは、個人的には鉄板かと。
アンコール1は、テロ氏のキーボードとともにアコースティック。
最初からステージに用意されていたキーボードに、やっと出番です。
しかも、まさか君ヲ乗セテが聴けるとはっ?!!
↑
個人的ヴィド・ランキングのトップ5を争う曲
もう1曲は、10年後の今日此処で…。
10年後には、だいじょぶになる程度の葛藤だという自覚は、
彼らの側にもあるんだと思う。むしろ思いたい、きっと。
アンコール2、…サンガコロンダ→カラクリロマンス
→ワイセツ人形はい、暴れろっていうことですぅー。
ワイセツ人形が合戦の様相で、客席のカミテ後方が雪崩れ、
なんとな〜く人の流れに乗ってみたら(乗るなw)、
2柵目から3列目あたりシュンくんのキャビネット正面に
流れつきまして。まぁ視界もいいしそのままそこに
とどまったのですが、結果的にはこれがラッキーに。
ステージの側もヲ樹威とシュンくんがダイヴ…したのですが、
ギター置いてから飛びなさいよあんたはー(ノ`Д´)ノ。
↑
後先を考えないスンたま降臨
すんギターご臨終( -人-)。ギターがいなくなったら、
シュンくんの右のぷとももがよくみえましたよっと(爆)。
※ヲ樹威のふとももは天然記念物、
シュンくんのふとももはぷともも
アンコール3、ここまできて殺女の途中で楽器隊の音が
P.A.スピーカーから出なくなるという、あり得ないレベルの
アクシデントが発生。
(P.A.卓には動きがなく、ステージ下手のモニター卓周辺が
バタバタだったので、おそらくモニターを咬んで出力する
どこかのラインのトラブルかと…)
しかもこのバンド、メンバーは全員イヤモニで
両耳ふさいでいるので、彼らの側では何が起きたのか
わからないんですよ。
客の反応で何かが起きてることには気づけるのですが、
彼らの耳の中の音は出ているので、止めるという判断が
出来ない…という。
↑
楽器隊まで全員が両方イヤモニでふさいでるバンドは少ない
ヴォーカルは両耳が基本
バンド側のせいではないし(というかむしろハコ的に大問題)、
誰より悔しかったのはメンバーではないかと思うのですが、
あまりにも尻切れトンボで締まりのない幕切れでした。
でも、それさえも、中途半端に終始した彼らには、
似合っていた…、彼ららしいとさえ思えてしまった。
不遇なバンドだったと思います。
オリジナリティなら、誰にも負けないにも関わらず、ね。
18日1:42追記
オリジナリティというのは、ヴィドールというバンドを
語る上で重要なキーワードだろうと個人的には思っています。
バンドというのは、誰しもが憧れやコピーから入ってくる
世界です。それゆえに好む音/弾きたい音に先輩後輩関係が
成立します。そしてそれがある程度の数あつまると、
ひとつのジャンルとして括られるのです。
たとえば、90年代半ば頃、SUGIZOもどきの上手
ギターがイモのコ洗いでわんさか存在したように。
Dir en greyという雨の後、タケノコのようにその
粗悪品みたいなフォロワーバンドが出たように。
別にタケノコになること自体が悪いのではありません。
INORANの中に瀧川一郎のカケラを見つけても、
不愉快になることがないように、バンドの音という
ひと皿の中に、こっそり一切れのタケノコが入って
たって別にいいのです(炊き込みご飯サイズならなお良)。
ただ、1〜2年目のガ○ットだとかサ○ィだとかみたいに
まるごとタケノコで出てこられても困るっていうだけで。
そういう視点からヴィドールを語ろうとしてみると
ルーツになる音の特定がかなり難しいのです。
いわゆるV系の中にこのテの音は必ず存在するとは
思えるのですが、その代表的なバンドをあげろと
言われると、ハタと困ってしまうワケです。
そのオリジネーターであることが、彼らの強みで。
代わりが効かないから、他と客の取り合いに
なりにくいし、1度ついた客が離れにくかった
だろうと、考えてみたります。
V系というごった煮の中で、欠くことのできない
スパイスであっただろうと。
多くのメディアが語り、実際そうだとヴォーカルを
聴かない私でも思っていることですが、樹威の唄と
クチまわりのエロさは一級品です。
2枚目に徹しきれない気弱さと、ノドが強くはないと
いう部分はありますが、そこさえ克服できれば、
将来的には河村隆一レベルに到達する可能性だって
あるヴォーカリストです。
ヴォーカルの存在感や実力は、世間を相手にしたい
ときには、必要欠くべからざる大事な要素でしょう。
その彼が、多少イビツではあっても十分にメロディ
アスで、鮮やかに多様な展開をみせる楽曲を歌って
いて、なぜ彼らはシドになれなかったのだろうか…?と
考えることがあります。
※私のシドの評価が世間より低いのも事実ですが
どちらもヴォーカルが売りといっていい2バンド、
しかもどちらもが、ときにエゲツないほど物語性の
高い歌詞を書き、女性視点からの歌詞世界を得意と
する側面をもっています。
ポイントをかいつまめば、両者に接点は多いのですが、
たぶんこの2バンドを比べるひとは多くありません。
ちなみに私が圧倒的におもしろがれるのは、ヴィドです。
たとえばね、シドの妄想日記2を、脳内でヲ樹威の声に差し替えると
いう脳内ヴォーカロイドごっこをしてみてください。…(想像中 )…。
想像しましたね? おそろしいことになると思いませんか?
午前2時くらいにすべき妄想になることと思います。マオくんの声は輪郭がはっきりしていて強く、滑舌が
よすぎるので、声だけでは色気が足りないのです。
で、なんでシドになれなかったか…を考えたときに
指摘せざるを得ないのが、事務所の底力、スタッフ
サイドの問題です。
ギルガメッシュとか、lynch.とかのライヴに行くと
感じるのですが、スタッフ側にも熱狂があります。
『いまこいつらをオレ達の手で駆け昇らせるんだ』
という決意/熱意の共有がもたらす、意識の高さや
プライドみたいなもの。
客を魅了する能力はもちろんですが、同じように
スタッフから100%以上の仕事を引っぱり出すのも、
メディアを惹きつけ味方になってもらうのも、
ある意味でバンドの実力なのです。
安定期が長続きせず揺れ動いたバンド自体(メンバー
チェンジの多さとか)という問題もゼロではないの
でしょうけれど。
結局、関わる人数が増えてことが、彼らの場合に
限っては、マイナスにしか作用しなかった気がします。
まるで薄まり続けていく過程を、色褪せていく時間を
観てきただけのような、そこはかとなくさみしい感じ。
個人的には、彼らの未来が、最終的にヴィドールに
続くものであることを願っています。