2010.08.17 - 21:35
このブログにトラックバックをするにはログインが必要です
今すぐ無料登録 | ログイン
紗耶/2010.08.18 - 13:10 ×
音さえ鳴ったら…という人間は、そう多くはないんじゃないかな?
少数とも言わないけれど。
そんな簡単な事ではないと思います。
katze/2010.08.18 - 20:23 ×
去年ほどSUGIチャンがあそこに居る違和感は、確かになくなったし、
いないHIDEちゃんがあたかも居そうな違和感も無くなりましたよね。
それはすっきりしました。
元々、Xの島に生きていた人間ではないので、思いの深さが違うことを前提に言うなら、
今回のあれで良かったと思います。
大切なメンバーである事は変わらないけれど、新しい音が鳴る事はないのだから。
聴けなかった“ひがみ”も含めて、新生と言うのなら変わって行くべきものかと思います。
それでも、HIDEが創った曲は残り続けるのだから。
梛毅 -Nagi-/2010.08.19 - 01:08 ×
>紗耶
映像も特効も、ライヴという場そのものさえも、
音の隷属物だと思っているのだけれどなぁ、私は。
だって、いまさら秘蔵映像は出てこないし。
だとしたら、"あの時のあの映像だ" って
思うだけでしょう? DRAINみたいな使い方なら
確かに一瞬の交錯のようで綺麗だけれど。
映像はもう増えない。(まぁ音も…な)
だからこそ守られるべきだし、
扱いは慎重に、貴重な存在にしておき
たいと思う。滅多に視られないから
おタカラ映像なのだしね。
梛毅 -Nagi-/2010.08.19 - 01:30 ×
>NaGaさん
はじめまして。
簡単でないと感じるのは、
なんの、どんな部分なのでしょうか?
私には、過去20年の間に幾度となく
流れてきた、YOSHIKIとHIDEの不仲の
噂(最近 聞かなかったけど、アホほど
あった、このテの話)などと同様、
あ〜ぁ…また揉めてる……くらいの感覚です。
本質の簡単さと、現実の複雑さを
すりあわせる過程で生じた齟齬
(これ自体は大小問わず常に
どこにでもあるものですが)が、
ちょっと日常の範囲を越えて大きかった
ということではないのでしょうか?
↑
私の解釈
漠然と感覚が拒絶する…というのなら、
それは個人の感覚の問題で、
誰かとの共有は困難でしょうし、
共有の必要もないと思いますが、
感覚だけでない、思考のレベルでの
違和感なら、ぜひ言語化して教えてださい。
梛毅 -Nagi-/2010.08.19 - 01:51 ×
>katzeさん
取り乱していた2008年のライヴも、
脳内再生してみると、HIDEに頼りすぎな
感じはありましたよね。
hideサミットはまぁ仕方がないとしても。
今回のライヴの1番の収穫は、
"また次がある" と思えたことです。
(いつになるかは知らないけれど)
とりあえず慌てふためいて、
次のライヴどころか数分先さえ
不安だった2008年の3月。
楽しめはしたものの、次を
期待すること自体が恐怖だった
2009年の5月。
ようやく、今回は、終演後に
"またね…" って思えたのです。
そんな、ちぃさなしあわせ。