今日、衆院を通過した法案に関してのもろもろ。
バンギャだけやって生きてるワケじゃないし…。
つーかね、有権者という立場にある全員が、
昨日のカレーが超不味かったっつーブログの翌日に
今日の政治を語れるのが、成熟した民主主義というものでしょ?
参照記事正直、A案通過は意外でした。
すべてが過半数に達せずに総倒れという、もっとも不毛な
結果を、あたりまえのように予想してましたから。
もしかしたら、私が思うよりもこの国はマトモなのかもね。
ただね、議論の方向が違う気は、今回もした。
だって、死生観というものは、経験や価値観を基盤とした
非常に個人的なものであるはずだよ。
家族の間でだって、"一致した見解" はなかなかないと思う。
それなのに『脳死を一般的にひとの死とする国民的合意』の有無を
議論しようとする社説やコラムの多いこと多いこと。
そんなものにコンセンサスが存在するとは思われない。
安楽死を法的に認めているオランダにおいて、
オランダ世論の6-7割が安楽死に反対しているという現実を鑑みても。
あの国の安楽死法を支えているのは、自分は安楽死というものに
反対するけれども、安楽死を希望するひとには、法的な規制を
かけた上で、その個人の希望を尊重しますよ…という個人主義だ。
脳死を容認して移植を受けて生きたい…という他人やその家族。
脳死を容認してドナーになってもいいよ…という他人やその家族。
そういうひと達に対して、私たちがつくる社会はどうあるべきか?
ということこそ、本当に議論すべきだと思う。
脳死を容認する個人的な死生観に、社会がどう干渉すべきか?
または干渉しないべきか? を。
たとえ自分が、自分や家族の脳死を認めないとしても、
そこは個人の自由で。一筆 書いておけばいいだけのこと。
現状の医学に、"脳を蘇生できない状態=脳死" が存在することに、
疑問を差し挟むひとは、そう多くないと思う。
これは、この国特有の宗教色の薄さで。悪いことじゃない。
1番脆いといってもいい脳という臓器が、身体の他の部位より先に
ポシャってしまう現実は、医療現場にいればいくらもある。
たとえ厳密な脳死でなくとも、あーぁ、脳だけ帰って来ねぇや…的な
嘆きや落胆は、残念ながら間々ある。
そして臓器移植という医療を受け入れる気も、意外と皆あるんでしょ?
こんだけ海外移植のための募金が盛況なワケだし。
私はここで唖然とするけど。だってそうでしょ?
移植実施国の脳死判定や移植に関わる医療資本/社会資本を
それを支えていない外国人が消費することや、同じ臓器を
順番待ちしている相手国の患者の存在を、どう考えてるの?
移植臓器が不足していない国なんてない。日本の子供が渡航して
移植を受ければ、その次で順番待ちしている移植実施国の子供が
待たされる。次のドナーが出るまでの時間は、予測不可能。
間に合わなければ、その国の子が死ぬのだ。
移植の自国内完結を促したWHO勧告がもつ本来の趣旨は、
臓器売買を禁止することなワケだしね。
(売買といえば、子供の骨標本の7-8割はインド産。
そうそう都合よい年齢で死ぬものなのかねー?)
脳死という状態がある → 脳死移植という医療を受け入れる → で?
けど増えねぇんだろーなぁ、ドナー。
自分が病気になったら臓器ほしいけど、自分の身内からあげんのは
ヤダっつー未熟な矛盾に充ちてるからなー、この国は。
ただ、この国特有の無関心さは、使い用によってはけっこう便利。
実際、両親が臓器提供に同意した子供の脳死判定および臓器提供を
容認する世論は7割近いらしい。
成熟した個人主義じゃなく、未熟な無関心の結果ってのがナンですが、
結果おーらい………か?
は〜、すでに日付かわってもう今日です。
D'ERLANGERツアー・ファイナルの横鰤。
なんかここ1週間くらい、妙に日程と自分がちぐはぐしていて、
もうこの日がきちゃった……って感じ。
関東エリアではなんもなかったというのに、
地方各地ではいろいろあった(?)ツアーで。
大分ではkyoちゃんがCIPHERのクビを絞めあげたとか、
(しかも "せめてこの手で殺してしまおう" のフレーズ)
神戸ではCIPHERがkyoちゃんのクチに指を突っ込んで
指フェラまがいのことをさせたとか。(風のウワサですが)
………心臓に悪ぃ(_ _;)。
先週末のkyoちゃんはBUGで沖縄だったハズなので、
リフレッシュ出来ているといいなぁ…。
あ、でもリフレッシュの結果、全開で来られてもちょっとイヤかも。
しかも今日のHOROSCOPEが5hideなのが
すげぇ気になるんですけど……(((((^^;)。
…
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